こんにちわ!



グリーンビューティーラボの井藤雅子です。

 


アメリカ5年・マレーシア15年。海外生活は既に20年目の2児の母です。

 


ブログではエコでナチュラルなハンドメイド生活についてや、国際結婚をして海外子育て、バイリンガル教育を実践している海外在住ママの目線からの日々の気付きなどをシェアしています。 

 


井藤雅子の自己紹介はこちら



はじめましての方は、まずは学生時代からの自分の岐路についてシリーズでつづったこちらをお読みください。

私の岐路①


【私の岐路⑦逆カルチャーショックと未来の変え方】


私たちはだれもが、今ここにいるまでに通ってきた道のりがあって、その途中にはいくつかの岐路があります。 



 岐路とは人生の分かれ道。 



 その岐路で違う選択をしていたら、今の生活は全く違ったものになっていた。 



 その道を選ばなかったら今の私はいなかったというくらいに重要な出来事。 



私がなぜ今この場所にいるのか、過去を振り返ることで今を再確認しようと思い、九州で生まれ育ち、ごく普通の家庭で育った私が、なぜ国際結婚してマレーシアで子育てをしているのか、今回はこれまでの私の岐路についてシリーズで書いています。 



 前回の記事はこちら↓ 

 【私の岐路①九州で生まれ育った私のはじめての海外生活】 

 【私の岐路②海外の大学へ留学する!】 

 【私の岐路③旅立ち】

 【私の岐路④神学校に入学???】 

 【私の岐路⑤順調な学生生活と突然の別れ】

【私の岐路⑥順調すぎる学生生活と私の世界観を変える出来事】



オハイオでの大学院生活は忙しかったけど順風満帆。卒論も一発でクリアして晴れて卒業を迎えることが出来ました。



卒業後、アメリカで就職するという選択も考えましたが、5年の海外生活で日本が恋しくなった頃だったので、日本で就職する道を選びました。



そして日本に帰国。



帰って一週間で職安に行って仕事を探していました。



決して女性の中途採用なんて選べるほどはなく、ましてやカウンセラー希望となると働く場所は選んでいられません。



見つけたのは福岡にある個人の心理内科クリニック。



精神科医の他に、カウンセラーが5人もいるのが魅力でした。



アメリカでカウンセリングの基礎を学び、2年間それなりにセラピストとしての経験を積んできていましたが、日本の医療現場のカウンセリングは全くの未知の世界。



「きっとここに行けば、日本のカウンセリングが学べるだろう」



そんな甘い期待を描いて福岡で一人暮らしを始めました。




でも仕事を始めてすぐに、自分が持っていた甘い期待は一瞬にして打ち砕かれました。



入院患者もいるこのクリニックの精神科医の医院長は、自身がうつで長期療養しながら患者さんの治療を行い、その精神科医の仕事をサポートするために5人ものカウンセラーが雇われていたのです。



そして、カウンセリングもただ「患者さんの言う事を聞いてくれればいいですよ」と支持されるだけで、あとは何のアドバイスもなく、私が言われたこと以外のことをしようとすると、カウンセラーのリーダーが「何もしなくていいですから、ただ話を聞いてあげてください」といわれるだけ。



そのうち、事務長に呼ばれて、「あなたはカウンセラーさんって雰囲気じゃないのよね。もっと柔らかい感じの髪型や服装にしたらいいわよ」といわれる始末。



逆カルチャーショックでした。



今まで学んだことは何だったのだろうか?



私を試してわざと教えてくれないのだろうか?それともこれが日本のカウンセリングなのだろうか?



長くアメリカの水に浸かっていた私には、上の言う事には絶対服従的な雰囲気や上辺をとりつくろって医療行為を行っている事自体が疑問に思えてきました。



そして一日中カウンセリングで(というよりもヒアリングで)終わった後は、体がどっと疲れ頭痛や腰痛に悩まされるようになりました。



さらには、以前そこでカウンセラーとして働いていた人が欝で入院している事実や、仲間だと思っていた女性カウンセラーが担当の入院患者と失踪する事件などあり、



言葉では言い表せないようなドロドロとした悪い気が満ち満ちていて、その重みで押しつぶされそうでした。



明るく患者さんを世話する看護師さん達や他のカウンセラーさん達が心の支えではありましたが、



《こんなところにいたら自分まで欝になってしまう》



そう思って、一年で退職しました。








日本では、いくら仕事が大変でも、その環境が悪くてもとことん頑張る人が大勢います。



家族の為、同僚の為、仕事の責任が有るから、そんなに簡単に転職してはいけない。こんなご時勢、雇ってもらえるだけでもありがたい。



なんて良く聞きます。



でも、自分が辛い環境で我慢して果たして何の得があるのでしょう?



辛い事を我慢して、我慢に我慢を重ねてしまうから、体を壊したり精神を病んだりするのではありませんか?



海外では転職は当たり前。



そして、総理大臣だって任期満了前にさっさとやめてしまうこのご時勢に、合わない仕事に固執するなんて自分が損をするだけのように思います。



《やっぱり私には日本は合わない》



そういう結論に達した私は、学生時代から付き合っていた彼の「マレーシアに来ない?」という誘いに応じて即決で海外へ移住することを決意しました。







そして、私はその後無事結婚・出産を経て今に至るわけです。



住んでみると、やはりアジアは欧米より住みやすく居心地がよいなと実感します。



今ここにいることに後悔はありません。



アメリカでも、日本でも、自分の出来る精一杯をやってきたから。



そして、その精一杯をやりきった結果、今があるわけだから。







そして主婦となり、子供に恵まれ幸せに暮らす今、また新たな事に挑戦したいという気持ちがムクムク沸いてきて、こんな風にブログで発信を始めてます。



自分が最大限に生かせる場所を、自分で作り出したいという無茶な欲が出てきています。



でも、自分の目標は無茶なくらいで丁度いいんじゃないかなと思っています。



誰かがチャンスを与えてくれるのを待っていたら、私にはきっとアメリカに行くチャンスはめぐって来なかったでしょう。



ましてや奨学金をもらって大学院にいうなんて夢で終わっていたことでしょう。



きっと、国際結婚して海外で暮らすなんて有り得なかった。







チャンスは自分で掴むもの。



そして、そのチャンスのある方向へ自分の人生の舵を大きく切る事が出来るのは自分だけ。



だれでも、岐路は自分で選べます。



ここに行きたい、こう変わりたいと思った今。



その”今”が岐路。







私もこれからまた大きく方向転換しますよ。



ただの主婦では終わりたく無いですから。



もしあなたもなりたい自分があるのなら、今を変えて自分で行動し続ける事で、未来は確実に変わります。



さあ、あなたはどんな未来を描きますか?



(シリーズ終わり)




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