【私の岐路⑤順調な学生生活と突然の別れ】

こんにちわ!



グリーンビューティーラボの井藤雅子です。

 


アメリカ5年・マレーシア15年。海外生活は既に20年目の2児の母です。

 


ブログではエコでナチュラルなハンドメイド生活についてや、国際結婚をして海外子育て、バイリンガル教育を実践している海外在住ママの目線からの日々の気付きなどをシェアしています。 

 


井藤雅子の自己紹介はこちら



はじめましての方は、まずは学生時代からの自分の岐路についてシリーズでつづったこちらをお読みください。

私の岐路①




私たちはだれもが、今ここにいるまでに通ってきた道のりがあって、その途中にはいくつかの岐路があります。 



 岐路とは人生の分かれ道。 



その岐路で違う選択をしていたら、今の生活は全く違ったものになっていた。 



 その道を選ばなかったら今の私はいなかったというくらいに重要な出来事。 



 私がなぜ今この場所にいるのか、過去を振り返ることで今を再確認しようと思い、九州で生まれ育ち、ごく普通の家庭で育った私が、なぜ国際結婚してマレーシアで子育てをしているのか、今回はこれまでの私の岐路についてシリーズで書いています。 



過去の記事はこちら↓ 

【私の岐路①九州で生まれ育った私のはじめての海外生活】 

【私の岐路②海外の大学へ留学する!】 

【私の岐路③旅立ち】

【私の岐路④神学校に入学???】



危機一髪で神学校入学を免れた私は、ケンタッキー大学に編入する事にしました。



ESLの友人達もみなこの学校に編入が決まっていたので、ここに入るのはごく自然な流れで、



4年制大学は日本で既に卒業していたので、大学院に入るという選択肢もなきにしもあらずでしたが、心理学を基礎から学びたかったのと、大学院での学習についていけるほどの英語力が無かった私には編入の道が一番最適だという結論に達しました。



学校は毎日楽しくて、プライベートでは彼氏もできて大学生活は順調そのもの。



さらにその年はケンタッキー大学のバスケットボール部がNCAA全米優勝を果たした年。皆誇らしげにチームのTシャツを着てバスケットボールの試合の応援にいったりして、大学生活を満喫してました。



冬休みになり、実家に帰ろうかと思いましたが、自分の貯金で来ていて旅費まで出す余裕が無く、その年は帰らない事に決めたんです。



ケンタッキーの寒い寒い冬のある日、母から手紙が届きました。



《おばあちゃんがこけて腰を骨折してから具合が悪いから、良かったら手紙でも書いてあげて。》



私はあわてて、クリスマスカードを書いて送りました。





時は98年。学校ではメールは使っていましたが、日本の家族はまだ誰も使ってなくて、未だにたまに手紙を書くか、高い国際電話をかけるかといったコミュニケーション方法しかなかったのです。



それから数週間後のある日、虫の知らせがして久しぶりに実家に電話をしたら、母が「ばあちゃん亡くなったよ。」といいました。



私が送ったはがきが亡くなる数日前に届いて、ばあちゃんに読んであげたら『ふうん。雅子がな。。。』とかすかに目を開けて返事したそうでした。



電話口では平静を装っていたけど、正直かなりショックをうけました。



確かにばあちゃんはその時既に88歳。でも亡くなるなんて全然考えてもいなかった。



バス停でわたしを見送っているばあちゃんの顔が蘇ってきました。



《ばあちゃんはあの時、私を見るのは最後かもしれないと思って、わざわざあの雪がちらつく寒い日にバス停まで見送りに来てくれたんだ。》



《なのに私はちゃんとお別れもしてない。》



《私、結局ばあちゃんに何にもしてあげなかったな。》



自分の事ばかり考えて実家に戻らなかった事をすごく後悔したけど、時は既に遅し。



親はもうお葬式も初七日も終わったので、帰って来る必要は無いよとの事。



さすがに、電話を切った後ボロボロ涙がこぼれてきました。





海外にいると、身近な人の最後に間に合わないかもしれないのだということをこの時実感しました。



【私の岐路⑥順調すぎる学生生活と私の世界観を変える出来事】へつづく

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