【私の岐路③旅立ち】

はじめまして!まさこです。

 


アメリカ5年・マレーシア13年。海外生活は既に18年目の2児の母です。

 


元臨床カウンセラー、自身の海外ハンドメイド起業の経験を踏まえて、日本でそして海外で活躍する女性ハンドメイド起業を応援するサロン《ステラアカデミー》を運営しています。



ブログでは国際結婚をして海外子育て、バイリンガル教育を実践している海外在住ママの目線からの日々の気付きやハンドメイド起業のお役だち情報をシェア。 

 


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はじめましての方は、まずは学生時代からの自分の岐路についてシリーズでつづったこちらをお読みください。→私の岐路①



私たちはだれもが、今ここにいるまでに通ってきた道のりがあって、その途中にはいくつかの岐路があります。 



 岐路とは人生の分かれ道。 



 その岐路で違う選択をしていたら、今の生活は全く違ったものになっていた。 



 その道を選ばなかったら今の私はいなかったというくらいに重要な出来事。 



 私がなぜ今この場所にいるのか、過去を振り返ることで今を再確認しようと思い、九州で生まれ育ち、ごく普通の家庭で育った私が、なぜ国際結婚してマレーシアで子育てをしているのか、今回はこれまでの私の岐路についてシリーズで書いています。 


これまでの記事はこちら↓ 

【私の岐路①九州で生まれ育った私のはじめての海外生活】

【私の岐路②海外の大学へ留学する!】



留学の手続きを手伝ってくれていたアメリカ人牧師の勧めでアズベリー神学校のカウンセリング科に入るべく、その近くにあったケンタッキー大学付属のESL(English as a Second Language)のクラスへ入るビザを手に入れました。



ビザを手に入れたと同時に会社へ退職願を出し、約一ヵ月後晴れて自由の身に。



親や祖母には「退職したら3ヶ月くらい語学留学するから!」と伝えました。



今回は自分の貯金で行くという私に誰も反対する事はなく、出発の日、近くのバス停まで父が送ってくれましたが、その時いつもはわたしのすることなどには無関心だった祖母がバス停まで送りに来てくれました。



「ばあちゃん、心配せんでよかよ。すぐ帰って来るけん。」



一人で海外に行くという孫を心配する祖母の気持ちなど全く考える事なく、私は片道の航空券と希望を胸に抱いて空港へ向かう高速バスに乗ったのでした。







そして太平洋を渡り、1998年の2月に私はケンタッキー州レキシントンに降り立ちました。



 知り合いも誰もいないその町で最初に私を出迎えてくれたのは、熊本でお世話になっていたアメリカ人牧師の知り合いの牧師さん。



初対面でしたが、とても暖かく迎え入れてくれ、ESLへの入学と寮の手続きが終わるまで1週間ほどこの牧師さんのお世話になりました。 



まだ寒い2月のケンタッキーはあいにくの大雪。



授業が始まる前の週末に寮には入れたものの、寮のカフェが開いておらず、食べ物を求めて雪の中薄着で外へ出て街中を探索。


でも、寒くてあまり遠くへまでは歩けず、サンドイッチとホットココアを手に入れただけで帰りました。



雪で凍えそうな寒さの中、ここまでかなり楽観的だった私に”孤独”という現実が襲ってきました。 



国際電話は高くてメールすらなかった私は家族と連絡を取るすべも無く、話相手すらまだ誰もいなくて、孤独の中ただただESLが始まる月曜日を待つしかなかったのです。 







 ESLのクラスの初日。クラスメートとの顔合わせ。 



皆、大学進学を目指す私より年下の留学生ばかり。 



大半はアジアからの留学生でしたが、皆ある程度英語がしゃべれる事に驚きを隠せず、授業も最初からかなりのハイペースで、宿題の量も半端ない!



ついていけるか心配。



でも、みんな同じ夢を目指しているからこそクラスの結束力も高く、 授業の後に一緒にコンピュータールームに行って宿題をしたり、お互いの寮や先生の家に遊びに行ったり、 友達のバースデーパーティーを開いたり。



英語の勉強は大変でしたが、毎日がとても充実してました。 



誰にも束縛されず、自分で本当にやりたい事をやっている実感もあり、すべて自分で責任をとるという生活は大変だったけれど、社会人として働いていたときには感じなかった自由や冒険がそこにはありました。 すべてが新鮮で生き生きとしていて楽しかった。




親には「英語を勉強して3ヶ月くらいで帰る」と言って来ていたのですが、  3ヶ月で日本に帰る事など、到底考えられず、 「やっぱり大学で勉強したい」と電話をしてすぐには帰らないつもりである事を伝えました。 



そしてESLのプログラムを4ヶ月で無事終了後、アズベリー神学校への入学が許可された私は、神学校の寮へ移ることにしました。



【私の岐路④神学校に入学???】へつづく


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~プロフィール~


井藤雅子(いとう・まさこ)


熊本県出身。

2004年よりマレーシアに移住。

出産後に家族の健康のためにと始めた手作り石けんとスキンケア作りに夢中になり

現在はハンドメイドスキンケアのオンラインショップを経営しながら

二児を育てる多忙な毎日。


自分と同じようにハンドメイド好きな主婦を応援したいという情熱に目覚め

これをライフワークにするべくステラアカデミーを立ち上げる。世界中の主婦が集う

インスタグラムセミナーやハンドメイドお茶会などを好評開催中。


ワークショップや石けん作りの合間には読書やヨガをするのが日課。

好きなものは石けんとアロマとコーヒー。

趣味は旅行、写真。


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